開拓期
1953年(昭和28)9月「日本アライアンス聖書学校」が広島県佐伯郡五日市(現佐伯区五日市町)255番地に移転し、学生達の病院訪問から開拓伝道は始まりました。初代牧師 曽川清・八重子夫妻をはじめ協力牧師松原信雄・米子夫妻、又多くの宣教師や神学生の奉仕によって、キリスト教の「石地」といわれた地に、福音の種子播きがなされ、1959年(昭和34) 教会が設立し、礼拝や集会は、貸家で守りました。
地域に根をおろす
1965年(昭和40)、田村幸三師が2代目牧師として就任しました。副牧師原田多恵子、伝道師・円山高子(現徳田)が各1年協力、家庭集会と子供会を地区に開き、地域への浸透を努めました。1969年(昭和44)、「アライアンス幼児園」を開園。関係者から多くの受洗者が与えられ教会は地域に根を下ろすことができました。この働きは後年、教団の東京開拓伝道の備えにもなりました。(1986年に閉園、卒園児約200名)。
1986年(昭和61)クリスマス礼拝は、礼拝堂及び聖徒記念堂の献堂式になりました。1987年、五日市での殉教者を覚える「キリシタン碑」が礼拝堂前の庭にできました。
2004年、田村幸三牧師が東京に転居。山下晃文師が副牧師に就任。
2006年、田村耕造師が3代目牧師として就任し現在に至っています。
田村 耕造(たむら こうぞう)
1951年 岡山県に生まれる
1969年 受洗(18歳)
1975年 広島大学文学部卒業
1980年 東京神学大学修士課程卒業
1981年 日本アライアンス神学校卒業
卒業後東京で開拓伝道開始、以来25年間東京キリスト教会の牧師を務める
2006年より五日市キリスト教会牧師
2012年より日本アライアンス神学校校長。前日本アライアンス教団理事長
主日の公同礼拝と祈祷会が中心です。イースター、ペンテコステ、クリスマスには、記念礼拝と特別行事(愛餐親睦会など)をします。召天者記念礼拝(8月)は、関係者が多く礼拝に出席されます。秋に開かれるベテル修養会は教会員の信仰が養われ、また身近な方達を教会に導く時です。幼児祝福式(11月) も恵まれた行事です。
教会の課題は、信仰を次の世代に伝えていくことです。信仰を継承する家系が多くなることを願っています。また、伝道者が更に起こされることを願っています。当教会出身の教職者と夫人は、11名です。
A.B.シンプソン(米国長老派牧師)によって創設された伝道団体です。
(クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンス)の働きによって生まれた教団です。
聖書を神の言葉として信じ、主イエス・キリストを救い主と信じる正統的プロテスタント信仰の流れの中にあります。
1895年(明治28年)広島県三次市を拠点に伝道を開始。以来、九州・中国・四国・関西・中部・東海・関東の各地区に教会が設立されました。
1941年(昭和16年)、日本にあった各教派が、日本基督教団設立にあたりこれに参加しましたが、敗戦後、元アライアンス教団所属の教会及ぴ同信の牧師が、本団体独自の使命の重要さを感じ、1949年(昭和24年)8月8日に宣教を再開しました。
2020年現在、34教会、5伝道所があります。信徒約2800名。教職39名。