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義とされて家へ

(3/12)の説教要旨

(ルカ18:9~14

主は、対照的な二人が神さまに祈る話をされました。一人は、神さまに対して自信があるファリサイ派の人で、もう一人は自信が全くない徴税人です。ファリサイ派の人は、模範的な信仰生活ができていることを述べて感謝しました。それに対して、「罪人の私を憐れんでください」とだけ祈りました。

主は話し終えると言われました。「神さまに受け入れられたのは、徴税人であって、ファリサイ派の人ではない。」それは、徴税人は、自分がそれまでしてきたことに気づいて、神さまに合わせる顔がないという思いになっていたからです。主はそこを見て、徴税人こそ義とされる!と言われました。

 

私たちも、徴税人程ではないにしても、時に神さまに合わせる顔がないようなことをしてしまうことがあるのでは?しかし、それでも、いろいろあっても神さまに向き合って生きていこうとするなら、身に余る恵みに与からせていただけるのです。それは、私たちの為なら、御子を十字架に掛けることまでなさる神さまが、すべてを治めているからです。